日本の安全保障政策にはいくつかの分水嶺ともいえる転換点を見出すことができる。第二次大戦後のサンフランシスコ平和条約と日米安保体制下における専守防衛の確立(1950~60年代)、ニクソン・ドクトリン後の防衛体制の拡充と日米安保における役割分担の調整(1970~80年代)、冷戦後の国際社会との協調重視と地域安全保障への関与増大(1990年代)、対テロ戦争を含むグローバルな安全保障への関与(2000年代)、中国の軍事的台頭に伴う地域安全保障への回帰(2010年代以降)など、10年間を単位とした変遷過程は注目に値する。
日本の安全保障政策の史的変遷の座標軸となってきたのは、軍事力を中心とするパワーをどのように調達するか(日本の防衛力・同盟国である米国の軍事力・国際社会との協力)、そしてそのパワーをどの空間で発揮するか(日本防衛・日本周辺・広域地域・グローバルな空間)という2つの領域である。前述の変遷に従えば、戦後初期には日本の防衛力は著しく限定され、専ら日米安保体制の下での米国の軍事力に依存した状態から、徐々に日本自身が自律的能力を備え、その空間軸を拡大させていく過程として捉えることができる。
ただし、戦後一貫して日本の安全保障政策における自律性は、米国の同盟国としての軍事的役割を代替することはできなかった。日本を取り巻く軍事的脅威と紛争生起の可能性に対して、日本が果たしうる役割は領域防衛の一部に限られ、紛争拡大局面において米国の役割を常に想定して組み立てられていた。これは、日本が専守防衛を掲げながら、所要防衛力の整備(脅威の量的側面に注目して脅威に対抗するための防衛力整備)を事実上回避し、基盤的防衛力(自らが力の空白となって周辺地域の不安定要因とならないための、必要最小限の防衛力)を長らく維持したことにも表れている。
現代の日本の安全保障政策は、こうした基本的な構図からの脱却期と捉えることができる。本稿ではとりわけ日本の安全保障政策の役割を、抑止とエスカレーション管理能力の拡大という視点からまとめることとしたい。
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